大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和61年(う)1546号 判決

主文

原判決をいずれも破棄する。

本件を浦和地方裁判所に差戻す。

理由

本件各控訴の趣意は、被告人A、同B、同C、同Dについては弁護人居林與三次、同田中和連名の、被告人Eについては弁護人居林與三次の、被告人F、同Gについてはそれぞれ弁護人田中和の、各控訴趣意書のとおりであり、帰するところ検察官調書の採用に関する違憲違法および事実の誤認を主張するものである。

一  被告人F、同G関係

趣旨のうち、訴訟手続の法令違反を主張する点は、要するに、原審は、被告人F、同Gの関係で、被告人A、同B、同C、同D四名の検察官調書を刑訴法三二一条一項二号の書面として取り調べているが、Aら四名は、共謀して被告人F、同Gにそれぞれ本件の五万円を供与したとして起訴されている者で、右法条にいう被告人以外の者にあたらないから、右取調べは違法であるばかりでなく、右四名に対する取調べ状況に関し同人ら自身の取調官に対する反対尋問権を不当に奪い、憲法三七条にも違反する、というのである。 しかしながら、刑訴法三二一条一項にいう被告人以外の者とは、同条項の書面が事実認定の証拠にされようとする当該被告人を除いた者を指すのであって、被告人F、同Gそれぞれの関係で被告人Aら四名が右法条にいう被告人以外の者に該当することは明らかであるから、原審の訴訟手続に所論のような違法はなく、また、被告人F、同Gについて所論四名の検察官調書を採用することと、右四名が各自の被告事件で証人尋問権を行使することとは全く別の問題であるから、違憲の主張も前提を欠き失当である。論旨は理由がない。

二  被告人全員関係

その余の論旨は要するに事実誤認の主張であって、

(一)  被告人A、同B、同C、同D、同Eの関係で、原判決は、被告人Aが被告人C、同Dに本件五〇万円を交付したのは昭和五八年一〇月下旬ころ、被告人Cと同Dがこれを小分けしてH、被告人E、同G、I、J、被告人Fの六名に五万円ずつ交付し、あるいは交付しようとしたのは同年一〇月下旬ころあるいは一一月上旬ころであり、授受の趣旨は衆議院議員総選挙に立候補を決意していたKに当選を得させるための選挙運動の報酬などであると認定したが、実際は、被告人Aの交付が同年九月二八日、被告人C、同Dの交付が同年一〇月初めころで、その趣旨は両神村K後援会が企画した一万人集会の経費の前渡しであるから、右認定は誤りであり、

(二)  被告人Fの関係で、原判決は、被告人Fが同Cから五万円の交付を受けたのは昭和五八年一一月上旬ころ被告人C方前路上においてであり、授受の趣旨は前記選挙運動の報酬などであると認定したが、実際は、交付の日時、場所は同年一〇月半ばころ被告人C方の庭先で、その趣旨は被告人Fが同Cに植木を与えた謝礼であるから、右認定は誤りであり、

(三)  被告人Gの関係で、原判決は、被告人Gが同Dから五万円の交付を受けたのは昭和五八年一〇月下旬ころであり、授受の趣旨は前記選挙運動の報酬などであると認定したが、実際は、交付の時期は同年八月下旬ころ、その趣旨は両神村にある御霊神社入口の工事代金として預かったものであるから、右認定は誤りである、

というのである。

所論のいう五〇万円は、(ア) 本件で被告人A、同Bが共謀のうえ被告人Cおよび同Dに供与したとされている二〇万円と、(イ) 同じく被告人A、同B、同C、同Dが共謀のうえ前記Hら六名に供与し、あるいは供与しようとしたとされている各五万円ずつの合計三〇万円とを合わせたものであるが、関係証拠によれば、昭和五八年の秋、被告人B、同C、同Dが長瀞町のK宅を訪れた際、被告人Aが右五〇万円を被告人C、同Dに交付し、その数日後に、被告人C、同Dがこれを小分けしたうえ、間もなく手分けして前記Hら六名にそのうちから五万円ずつを交付し、あるいは交付しようとしたことが認められる。

そこで、右五〇万円交付の時期について検討すると、被告人A、同Bのいずれも昭和五八年一二月二九日付各検察官調書、被告人C、同Dのそれぞれ同月二六日付各検察官調書に、その時期を同年一〇月下旬ころとする原判決の認定に添う記載があるが、その証明力には次のような問題がある。

(一) 被告人Cおよび同Dの右各検察官調書によると、右五〇万円授受の日、被告人Cが被告人B、同Dの同乗した車を運転して長瀞駅付近で秩父鉄道の踏切を渡り、桜新道を通ってK宅に赴いたことになっている。しかし、記録および当審における事実取調べの結果によると、右踏切を経てK宅に至る桜新道は、その一部区間が昭和五八年一〇月一七日から翌年二月ころまでの間、秩父衛生下水道組合の発注した公共下水道工事のため通行止めとなり、車の通行ができなかったことが明らかである。

もっとも、この点について、右工事の現場代理人をしていた武富孝男は、昭和五八年一〇月下旬ころも右桜新道は途中にある「く」の字型迂回路を利用することによって通行可能であり、当時車が右迂回路を通行した形跡もあったと証言しているが、右被告人両名の調書に迂回路を通過したとうかがわせる点は何もないうえ、当審における検証その他の事実取調べの結果によれば、右迂回路はたまたまその付近に存在するわき道であるにすぎず、工事のため特に設けられたものでもないし、その旨の標識があったわけでもなく、現場の地理を知る者でなければ迂回可能かどうかすら判断しにくい小道であることが明らかであるから、同被告人らが現場の地理に詳しいとか、例えば被告人Aなどから事前に迂回路によって通行可能なことを教えてもらっていたとかの証跡もなく、また被告人Cが車で走って来た距離、通行止めの規制状況、当時すでに夜間であったことなどに照らすと、同被告人の運転する車が右迂回路を通過してK宅に赴いたとするのは甚だしく不自然である。

のみならず、証拠によると、右下水道工事とは別に、長瀞町役場が同年八月二二日から同年一一月まで右桜新道の補修工事を実施しており、その工事は車の通行ができなくなるようなものではなく、その期間中夜間は現場に安全ランプを設置していたことが明らかであるが、被告人Cが原審で、警察の取調べを受けた際、K宅に赴く途中桜新道では工事が行われていて現場に赤いランプがついていたと供述したところ、取調官が工事のことは役場に電話で問い合わせればわかると言っていた旨供述していることを考え合わせると、捜査官が取調べの中で両方の工事を混同し、あるいは前記組合発注にかかる下水道工事のほうを念頭におかなかったため、本件五〇万円授受の時期について、誤導的な取調べをした疑いもないではない。

従って、前記各検察官調書の記載にもかかわらず、被告人Cら三名がK宅に赴いたのは桜新道が通行止めになる昭和五八年一〇月一七日より前であった可能性があるのである。

(二) いまひとつ問題となるのは、被告人Cがつねづね自己の行動の概要を記録していたという昭和五八年度議員手帳の日記欄九月二八日の箇所にある「P・8 K関係で長瀞へ 社長 副議長 3人」との記載である。同被告人は、原審および当審において、「K」はK、「社長」は材木関係などの会社を経営している被告人B、「副議長」は両神村村議会の副議長である被告人Dのことで、これは、昭和五八年九月二八日午後八時ころ両神村を出発して被告人B、同Dとともに長瀞町にあるK宅を訪ねた事実をその翌日ころ記録したものであり、かつ、本件五〇万円を受け取ったとき以外には長瀞町のK宅を訪ねたことはない旨述べ、また、右手帳は本件で警察に呼び出された際、前日着用していた背広のポケットに入れたまま自宅に置いてあったもので、釈放数日後に発見し、K宅訪問が九月二八日で、その日に両神神社の祭礼があり、大雨が降ったこと、K宅からの帰りにJ方に立ち寄ってご馳走になったことなどを思い出した、捜査段階でK宅訪問を一〇月中旬から下旬にかけてと供述したのは、手帳に前記のとおり記載したことも忘れ、捜査官の誤導に迎合したための誤りであった、などと弁解する。

被告人Cの右供述ないし弁解については、自宅にあったという右手帳が家宅捜査の際に発見されていないとか、祭礼、天候などの特異な事象もあったのに、わずか三か月後の取調べに際して手帳の記載を含めてこれを忘失していたとかに加え、証言のいきさつや、提出の時期などについてもいくつかの不審な点があるばかりでなく、被告人A、同B、同Dも、本件五〇万円授受の時期について、捜査段階では、ロッキード事件の判決や、祭礼の日などとの関係から昭和五八年一〇月下旬ころあるいは同月中旬から下旬にかけてであると供述していたのに、公判の段階になるや、揃ってその日を同年九月二八日と主張し、それが祭礼の日で、大雨の降った日であるなどと供述し始めるなど、不自然かつ理解し難い情況があって、このこともまた被告人Cの右供述ないしは弁解に疑問を生じさせるものである。

しかしながら、家宅捜索で手帳が発見されなかったのは、捜索が徹底を欠いていたことなどによる可能性も否定できず、手帳の存在に言及し、これを証拠として提出するのが遅れた理由もそれなりに理解できなくもないのであって、前記道路工事の関係をも併せて考えると、被告人らを起訴した時点において問題の手帳の記載が存在しなかったとまでは断定することができず、右手帳の反証としての証拠価値は未だ否定し去ることができない。

そこで、本件五〇万円授受の時期について原判決の認定に添う被告人A、同B、同C、同Dの前記各検察官調書の信用性には疑問があるといわざるを得ず、しかも一、二審を通じて取調べ済みの証拠中にこの疑問を払拭するに足りるものは存しない。そして、原判決が被告人Cおよび同Dが手分けして前記Hら六名の者にそれぞれ五万円を交付しあるいは交付しようとした時期について認定しているところは、本件五〇万円授受の時期が昭和五八年一〇月下旬ころであることを前提とするものであるから、その疑問は右認定にも影響を及ぼすこととなる。

それ故、現段階における証拠によっては、金員授受の趣旨はさておき、本件各犯行の日時についての原判決の認定は肯認できず、原判決には事実の誤認があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。原判決はいずれも破棄を免れない。

よって、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決をいずれも破棄し、更に審理を尽くさせるため同法四〇〇条本文により本件を原審である浦和地方裁判所に差戻すこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官石田穰一 裁判官田尾勇 裁判官阿蘇成人)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例